オーロラを訪ねて4 [臨時版]
オーロラを訪ねて
(フッテイルーテン クルージング)
今回の旅行はノルウエー沿岸を定期的に巡航する航路“フッテイルーテン”に乗り、バレンツ海に位置するキルケネス港から乗船しノルウエー沿岸各港に拠りながら(33か所)、最終寄港地ベルゲンまでの約2400Km5泊6日のクルージングと沿岸の街観光と船上からのオーロラ観察を楽しむ目的でした。全旅行日程は9泊10日でした。
【フッテイルーテン航路と寄港地】
このフッテイルーテン航路は、ベルゲン港を起点としてキルケネス港までを往復する、11泊12日の沿岸急行船です。ベルゲン港からキルケネス港までの往路を“北行き” キルケネス港からベルゲン港までの帰路を“南行き” と称しています。景勝地“ロフォーテン諸島”の、“ラフテスンデ海峡”を日中通過するのは南行きですので、私達はキルケネス出発便に乗りました。
このフッテイルーテン航路はドレスコードがなく、ディナーもカジュアルな服装で良いので、防寒服等 スーツケース収納に悩んでいたので助かりました。
日本からのツアー参加者は18名で、男性4人女性14人と圧倒的に女性の参加者が多く、そのパワーに圧倒されました。
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七日目(11月1日) (クルージング6日目:最終日)
この船MIDNATSOL号は折り返しベルゲンからの北行き就航準備のため、キャビンを10:00までに明け渡し。我々は展望デッキで過ごす。
【8階、9階の展望デッキ】
【第8の航路図】
14:30最終到着港ベルゲン到着し、いよいよ6日間お世話になったフッテイルーテンから下船です。
【フッテイルーテンのオフィッサーともお別れ】
フッテイルーテン雑感:
120年前のノルウエーの交通機関は船しかありませんでした。深く切り込んだフィヨルドは、陸路による人の行き帰を拒んだようです。
フィヨルドの奥に漁業を業とする街が津々浦々にあり、その人達への生活物資の供給、生産物の回送の必要性から出来上がった沿岸航路です。
その航路の景観が余りにも美しいのでヨーロッパ社交界の話題になり、その人達がこの航路を訪れるようになって豪華な船が投入され、夜毎社交ダンス等のおこなわれるサロンシップとなって行ったようです。
しかし現在のこの航路はドレスコードがなく、ディナーもカジュアルな服装で良いので、バゲージへの防寒服の収納に悩んでいたので助かりました。
乗船時まず行われたのが、手の消毒です。これは最初だけではなく、IDカードで下船して再度乗船する時も必ず行われました。また三度の食事の前にも、ダイニングの入り口でオフィッサーが消毒材の泡スプレーを持ち一人一人手を消毒されました。
この徹底した衛生管理の理由を考えたのですが、この船がノルウエーの大部分の港に寄港し、乗客の乗り降りがありますので、各地方への伝染病の拡散および船内への持ち込みの防止を図っているのかも知れませんね。
ダイニングの入口のメニュー料金は簡単で、朝食:1250Nkr、昼食:2900NKr、夕食:3900NKrとだけ・・・。朝、昼がバイキング形式、夜はコース料理です。
1Nkr=14.5円ですから換算してみてください。(高くてびっくりしますが、1航海中の食事?ですかね・・・我々はツアー料金に含まれているのでわかりませんが・・・)
フッテイルーテンには現在13隻の船があります。16000Tonクラス3隻・11000Tonクラス7隻・6000Ton以下3隻で、16000Tonクラスでは今回私達が乗船したMIDNATSOL号が最も新しく、2003年建造されたものです。
今のノルウエーは交通機関として列車、飛行機そして凍て付く山並みを貫通する自動車道路等、スピードアップして大変便利です。
ですが・・・旅人としては何時までもこの時間を超越した船旅が、現在の “時間・経済性優先セオリー” に負けることなく、未来も続いていただけるよう願ってやみません。
フッテイルーテン社の健闘を願っています。
ベルゲン
ノルウェー西岸ヴェストラン地方ホルダラン県の都市および基礎自治体である。2012年5月現在の人口はベルゲン自治体全域で約265,400人、地域であるベルゲン都市圏で約390,500人。首都オスロに次ぐ第2の都市。
ベルゲンは海洋性気候で比較的穏やかな冬と涼しい夏が訪れる。北緯60度の高緯度にあるが、天候は緯度の割に穏やかである。冬はノルウェーの中でも温暖な場所の一つで、これはメキシコ湾流(ガルフストリーム)の影響である。ベルゲンは降水量に恵まれ年間平均降水量は2,250 mm (89 in) に上る。降水量が多い原因として、ベルゲン周辺部の山に囲まれた地形に北大西洋の湿った空気がぶつかることによって生じる地形性降雨が見られることにある。2006年10月29日から翌年の2007年1月21日にかけては毎日降水が見られ85日間連続していた。降水量が豊富なため、毎年大雨はいつでも起こる可能性がある。
ベルゲンでの最高気温の記録は1947年に遡り31.8 °Cを記録している。一方、最低気温は1987年に−16.3 °Cを記録した。 (Wikipedia)
待っているバスに乗り込み、ベルゲン市内観光で世界遺産ブリッケン地区および魚市場を見てソグネフィヨルドに向かいます。(170Km)
【ベルゲン・世界遺産 ブリッゲン地区】
右は干した鱈のオブジェ:干鱈はノルウェーの重要な輸出品
年賀状に使おうか?
【お土産店にて トロル人形】
イヤホンガイドから聞こえてくる、現地ガイドさんの説明に皆さん真剣
【ブリッゲン地区の光景】
ジャグジーでひいた鼻風邪で、私は多少精彩を欠いております
ソグネフィヨルドに到着。フレットハイムホテルに宿泊。ソグネフィヨルドの奥まった所に立つガラス張りの近代的ホテルであるが、しっくりとあたりの自然に調和した建物でした。
【ソグネフィヨルド・フレットハイムホテルにて夕食】
八日目(11月2日)
【フロム鉄道とフィヨルド遊覧船】
今日はソグネフィヨルドの観光ですが、あいにく小雨が降っており霧もかかってすばらしい景観は望めそうもないようです。
ここでソグネフィヨルドクルーズ船に乗り、約2時間フィヨルドの景観を味わおうとの試み。小さな観光船はほぼ一杯で、東洋人は私たちのほか、中国人が20名ほど乗船していました。
雨に煙っていましたがまさに景観! 晴れていたらもっと素晴らしかったでしょう・・・
【ソグネフィヨルドクルーズに向かいます】
【ソグネフィヨルド・クルージング】
しまった! サファリジャケットでは寒い!
【支流・世界遺産:ネーロイフィヨルド 天気が悪くともこの景観】
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【静かな水面をかき混ぜるのが申し訳ないみたい!】
この後首都オスロのガーデモンに向かいバスで移動。(355Km)
この陸路は相次ぐ山越えであり、ノルウエーの厳しい山合いに1軒また1軒と雪に埋もれたカラフルな家が散見された。別荘として使用されているのが多いそうだ。
【陸路355Km バスで走破して首都オスロへ】
20時頃ガーデモンに到着し“トーンオスロエアポートホテル”にチェックイン。
ホテルでの最後の遅い夕食を取った。
【トーン・オスロエアポート・ホテルの部屋】
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いよいよ明日は帰国。防寒衣類から温暖衣類への交換、および土産物等によるバッゲージの重量配分等、家内のバッゲージとの詰め替え調整でかなりの時間を食った。
ツアーの皆さんも今頃は 部屋の中 大変だろうな・・・
フィヨルドについて
リアス式海岸が通常の山地・河谷が沈水して形成されたものであるのに対し、フィヨルドは氷河によって形成されたU字谷が沈水して形成されたものです。そのため、寒帯の地域に多く形成されます。
また南半球では、南極環流より北の陸地で寒い地域が限られるため、北半球に比べフィヨルドの数は少なく、規模も小さいです。
氷河とは、数万年もの時間をかけて数千mも降り積もった雪が融けずに固まり、氷へと変化したものです。
この氷が自分自身の重みによって、速くても1年間に数百mというスピードで山の斜面を下り、滑りながら底にある地面を深く鋭く削り取り、深い谷を形成したものです。
フィヨルドは、氷河時代の終わりごろに氷が融けて海面が上がったために、この深い谷の一部が海に沈むことで形成されていったのです。