オーロラを訪ねて2 [臨時版]
オーロラを訪ねて
(フッテイルーテン クルージング)
今回の旅行はノルウエー沿岸を定期的に巡航する航路“フッテイルーテン”に乗り、バレンツ海に位置するキルケネス港から乗船しノルウエー沿岸各港に拠りながら(33か所)、最終寄港地ベルゲンまでの約2400Km5泊6日のクルージングと沿岸の街観光と船上からのオーロラ観察を楽しむ目的でした。全旅行日程は9泊10日でした。
【フッテイルーテン航路と寄港地】
このフッテイルーテン航路は、ベルゲン港を起点としてキルケネス港までを往復する、11泊12日の沿岸急行船です。ベルゲン港からキルケネス港までの往路を“北行き” キルケネス港からベルゲン港までの帰路を“南行き” と称しています。景勝地“ロフォーテン諸島”の、“ラフテスンデ海峡”を日中通過するのは南行きですので、私達はキルケネス出発便に乗りました。
このフッテイルーテン航路はドレスコードがなく、ディナーもカジュアルな服装で良いので、防寒服等 スーツケース収納に悩んでいたので助かりました。
日本からのツアー参加者は18名で、男性4人女性14人と圧倒的に女性の参加者が多く、そのパワーに圧倒されました。
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三日目(10月28日) (クルージング2日目)
9:15 北行き Nordkapp号とすれ違い
11時15分 沿岸の街ハンメルフェスト(北緯70°39′6″ 東経23°39′5″ 世界最北の街)に寄港。
出発まで1.5時間あるので、例のIDカードのチェックを受け下船。
ハンメルフェストの街を散策。
【ハンメルフェスト市街】
【海辺にひときわそびえるモダンな教会】
【教会内部】
【Polar Bear Club シロクマ博物館】
12時45分トロムソに向けて出港
【思い思いに時間を過ごす】
オーロラ観測三日目: みえた!オーロラ!!
オーロラ観測三日目になって気がついた!
我々は南行き航路に乗って居るのだから、船首の展望ルームで見て居てもオーロラは観測出来ないのでは?
オーロラは北極側つまり船尾側で観測しなければ見えないと考え、吹きっさらしの船尾屋上ヘリコプターデッキに出て見た。
21時30分 家内が見つけた!「あれじゃない?」
私は近視の上、満月であったので高層雲が月光に輝いていると思っていたが、これを写真に撮ってみると縮小された画面上、まさしくうっすらと北極から伸びたオーロラを確認。
家内に展望デッキで観察していたツアー仲間に連絡させると、皆飛びあがって来た。
そのうち船内放送でもオーロラである事を放送したらしく、次々外人たち(こちらが外人か?)がカメラ片手に上がって来て撮影。場所はシェルヴォイとトロムソのほぼ中間。
微かなオーロラだけれどもヤッター!!
撮影諸元
カメラ:NIKON COOLPIX S8000 露出時間:1秒、F値:3.50 露出プログラム:プログラムAE ISO感度:3200 焦点距離:5.4mm フラッシュ:使用せず。
【オーロラ写真6枚】 :一番下の写真はツアー仲間のTさんが撮ったものです
【第3の航路図】
23時45分トロムソに到着。出港まで1時間45分あるので、下船し深夜のトロムソの街(北極圏最大の街、人口70000人 北緯69°38′8″ 東経18°57′7″)を散策。
【停泊中のMIDNATSOL号とトロムソ市街】
【トロムソのショーウインドー】
【トロムソ港と市街】
【トロムソの街の教会】
明日から冬時間となるため、時差修正 時計の針を1時間ずらす。 時差7時間であったのが、8時間になる。(添乗員からの指示)
オーロラについての薀蓄:
オーロラ(極光)は地球の両極で発生します。上空100Kmから500Kmの熱圏と呼ばれる領域に現れます。緑のオーロラの明るい部分は110Km付近、赤の最も明るい部分は250Km付近です。
100Kmから500Kmにある窒素分子イオン、酸素分子、酸素原子が光る現象ですが、紫や青色は窒素分子イオン、ピンク色は窒素分子、明るい緑や赤い色は酸素原子からのものです。
磁気緯度60~70度の領域は特にオーロラ出現の頻度が高い為、「オーロラ帯」と呼ばれています。
オーロラ帯には千ボルトから1万ボルトぐらいまでの電圧に加速された電子(オーロラ粒子)が宇宙から飛びこんできます。これが地球の分厚い大気に遮られてある高さで止められ、持っていたエネルギーを放出します。
このエネルギーによりこの付近の酸素分子や窒素分子イオンは非常に不安定な状態になりますが、再び安定した酸素分子や窒素分子イオンに戻る時、そのエネルギーを光として放出します。これがオーロラです。
四日目(10月29日) (クルージング3日目)
01:30 トロムソ出港
【第4の航路図】
08:00 ハシュタ(北緯68°48′8″ 東経16°35′4″)入港 ここで我々は下船し、エクスカーション(オプション旅行)であるバス旅行に出発しました。
テーマは“ヴェステローレン諸島を知る”。4時間15分のコースで、船は8:30ハシュタを出港してソルトランに入港し、我々はそこで乗船する事になります。
【ヴェステローレン諸島を知る】:下船バス旅行
このコースはフッテイルーテン社が企画するオプションコースです。一人550NKrです。
【出発するツアーバスと出港するMIDNATSOL号】
【石の教会を見学】
【訪問した石の教会の牧師】
日本語ペラペラ
「おはようございます。よくいらっしゃいました。」戸口で迎えてくれた牧師は、大変日本語が上手でした。それはそのはず・・・息子さんが日本の娘さんと結婚して京都にお住まいとか。おかげで日本語の讃美歌のコピーを渡され、朝のミサに全員が頭を垂れることに・・・
【バスごとフェリーに乗りこんでヴェステローレン諸島を見る】 | |
【天気晴朗なれども甲板は寒い】
【フェリーキャビンでの熱いコーヒーとクッキーのサービス:同行ご夫妻IさんTさん達と】
絵葉書ではありません。私が撮影したものです。
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絵葉書ではありません。私が撮影したものです。
MIDNATSOL号と橋の上で再会したのです。橋の一番高い所でバスを止め、我々が手を振って居るのが操舵室から見えたのでしょう。
船は今まで鳴らした事のない霧笛をヴォーッ、ヴォーッと5度も6度も鳴らしながら、橋の下をくぐって港に向かいました。まるで船が“お帰り~”と行っているような感動的な場面でした。
【ピンポイントの再会:ソルトラン港に入港中のMIDNATSOL号】
【左の橋が再会の橋:入港中のMIDNATSOL号】
【ノルウエー海軍の沿岸警備艦?速そう!! 格納ヘリコプターが見える】
ソルトランはVesteralen地方の主な都市で北ノルウェーの沿岸警備隊の本拠地
【実物の展示船舶フィンマルケン号・フッティンルーテン博物館】
ヴェステローレン諸島(左)とロフォーテン諸島(右)を隔て、両岸に険しい山々が迫る海峡。
このエリアはトロル(ノルウェーの妖精)が住んでいるといいます。1000年の眠りについていますが、うたた寝から時々目が覚めるという伝説があります。
(う~ん・・・確かに日本では日中の時間だけど、今の時期ノルウェーはすでに夜なんだよね!JTBにクレームつけるか!)
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オーロラ観測四日目:
今晩もオーロラの出現を期待して、大勢の人がヘリコプターデッキで北の空を見上げていました。
空には満月が煌々として、行く筋もの高層雲を照らしていますので、昨夜程度の明るさのオーロラが出現しても判別できません。これでオーロラ観測も終わりか・・・
グリーグ(ブログの演奏ピアノ曲)について
劇音楽『ペール・ギュント』で有名なグリーグは、ノルウエーの作曲家です。
エドヴァルド・ハーゲルップ・グリーグ(Edvard Hagerup Grieg、1843年6月15日 - 1907年9月4日)
グリーグはノルウェーの民族音楽から着想を得て、国民楽派の作曲家として注目されました。
スウェーデン統治下のノルウェーで、ベルゲン市街の家に5人きょうだいの第4子(兄1人、姉2人、妹1人)として生まれました。父方の曾祖父アレクサンダーは1779年にノルウェーに帰化したアバディーンシャー出身のスコットランド人で、一族の苗字は本来Greig(グレッグ)でした。
グリーグはとても小柄でした。生前は卓越したテクニックのピアニストとしても著名で、自作を携えヨーロッパをたびたび演奏旅行しています。晩年のアコースティック録音およびピアノロールが残されており、現在もCDで入手できます。
ベルゲン観光では、是非グリーグの記念館を見たいと思います。
イプセンについて
ヘンリック(ヘンリク)・イプセン(Henrik Johan Ibsen、1828年3月20日 - 1906年5月23日)は、ノルウェーの劇作家、詩人、舞台監督。近代演劇の創始者であり、「近代演劇の父」と称されます。シェイクスピア以後、世界でもっとも盛んに上演されている劇作家とも言われています。
代表作には、『ブラン』『ペール・ギュント』(グリーグが後に劇音楽を作曲する)『人形の家』『野鴨』『ロスメルスホルム』『ヘッダ・ガーブレル』などがあります。
自身はノルウェーを嫌い、長くドイツやイタリアで生活したため、ノルウェーの国民作家という意識は薄かったが、現在は国の象徴、そして世界史上最も重要な劇作家の一人として尊敬され、長らくノルウェーの最高額面の1000クローネ紙幣にその肖像が描かれていました。
ムンクについて
エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch, 1863年12月12日 - 1944年1月23日)は、19世紀~20世紀のノルウェー出身の画家。『叫び』の作者として有名で、ノルウェーでは国民的な画家です。
現行の1000ノルウェー・クローネの紙幣にも彼の肖像が描かれています。
生と死の問題、そして、人間存在の根幹に存在する、孤独、嫉妬、不安などを見つめ、人物画に表現した。表現主義的な作風の画家として知られています。
また、数多くの浮名を流したことでも知られ、恋を「昔の人が愛を炎に例えたのは正しい。愛は炎と同じように山ほどの灰を残すだけだからね」と語っています。
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